VS Codeエディタの寿命は長いのか?
少し前ですが、以下のようなVS Codeエディタに関する記事がトレンドにあがっていました。
VS Codeエディタに関しては、確かに素晴らしいエディタですし、私もお気に入りです。以前記事を書いたら、多くの人に読まれたことからも人気があることを実感しています。
ただ「技術の寿命が長い」というのは、本当かな?と思ったので少しだけ過去の私自身のテキストエディタ遍歴と、技術の寿命に関して思ったことを書いてみたいと思います。
私のテキストエディタ遍歴
私のテキストエディタ遍歴は以下のようになります。
時代 | OS | エディタ |
---|---|---|
幼少期 | MS-DOS | 無し(BASIC?) |
学生時代 | Windows | メモ帳(あまり記憶無し) |
大学生時代 | Linux + Windows | Emacs, TeraPad |
社会人時代 | Mac + Windows | Atom, Vim |
社会人時代 | Mac + Linux | VS Code |
以前音声配信でも語ったりしているので、興味ある方はこちらも参照ください(過去の記憶曖昧なため、この記事の内容と若干食い違いあるのはご容赦ください)。
こうやってみると、大体メインで使用するOSと共に、使用するエディタが変わっている印象ですね。改めてこうして振り返ると、あくまで自分1人のケースではありますが、数年ごとに使用するエディタが変わっているので、そんなに寿命が長いものではないのじゃないかな?というのが自分の経験則です。プログラミング言語と同様、どんどん変わっていくものじゃないかなと思います。
私自身、当分はVS Codeエディタを使いそうな気がしますが、5年後使っているかは相当怪しいですし、10年後も使っていたら奇跡じゃないかなと思います(その頃だと、Microsoftがどうなっているか分からないですね)。
ちなみに、自分の中で一番寿命が長いソフトウェア技術は、Linuxのシェルプログラミングです。20年前は予想もしませんでした(笑)でも、これも必要不要は人にもよると思いますし、あと10年たったらどうなるかは分からないですね。ただ、VS Codeエディタよりは生き残る可能性が高いと予想しています。
そして、生き残るからといって、その技術を必死に学ぶことが、生産性を高めたり、自分を幸せにするかというと必ずしもそうでもないのではないかなと思ったりしています。
デジタルツールを使うときのルール
自分は、デジタルツールやソフトウェア技術を選ぶときのルールとして、以下3つをなるべく守るようにしています。
- こだわらない(囚われると死ぬ)
- 人気があるものを選ぶ(情報がないと死ぬ)
- 無いものは作る(既にあるものを頑張って作ると死ぬ)
特に大切なのは、「こだわらないこと」ですね。何かにこだわるということは、囚われることでもあります。エディタとかも、拡張機能とかのカスタマイズについつい時間を使いたくなってしまいますが、トータルで効率化できるかは微妙なので、多くの人は、ほどほどにしておくのが良いのじゃないかなと思います(個人的には、仕事ではなく趣味の領域でやることだと思っています)。
といいつつ、全く逆のことをやるのもありだと思います。何かに病的に囚われて突き抜けることでこそ得られることもあると思います。ただ、時間もかかるし、全くの無駄になる可能性もあるので、あくまで無駄となっても自分が後悔しないことだけにするべきでしょう。判断基準があるとすれば、抽象的ですが「そこに愛があるかどうか?」ではないでしょうか。そうやって得たものは、たとえそのもの自体は廃れたとしても、何かしらの形で自分の中に蓄積されて、価値を持つものだと思っています。
まとめ
自分のテキストエディタ遍歴を振り返りながら、技術の寿命に関して思ったことを書いてみました。若干ポエム的かつ抽象的な内容が多くなりましたが、少しでもこの文章から何かを得てくださる人がいれば幸いです。
みなさんのお気に入りのテキストエディタやエディタ遍歴もよろしければ是非教えてください。