祖母は歌人

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祖母の葬儀でした

 先日、祖母が亡くなったため葬儀に行ってきました。特に事故ではなく、90歳を超えていたので大往生ですね。

 葬儀のときに知ったのは、実は祖母は若かりし頃に短歌を嗜んでいて、仲間と共同で歌集なども出していたそうです。私が生まれる前の話ですね。全然知りませんでしたし、普段の祖母からは全く想像できませんでした。失礼ながら、とてもそんな繊細な感じとは無縁な印象だったので…人に歴史ありですね。

 書籍名で検索もしてみましたが、残念ながらGoogleでは調べられませんでした。短歌の分野は詳しくないのですが、恐らく今でいうところの同人活動的なものなのでは無いかなと思います。当時は、今ほど本も多く出ていなかったと思うので、出版するまで行くには、かなり力を入れて活動していたものと想像しています。

祖母の歌を読んでみた

 祖母の歌を読んでみました。素人ながらハッとするような言葉遣いがあったりと、孫の贔屓目もあるとは思いますが、なかなかのものではないかと思います。中には、工場の事務仕事で帳簿が合わなかったけど賃上げが原因だったとか、従業員のお菓子を手作りしたみたいな生活感溢れるものがあったりと、思わずクスッと笑ってしまいました。

 祖母の紡いだ数々の短歌、祖母の生命と共に儚く消えていくのが美しいのかもしれませんが、一編だけネットに残して、ささやかな延命を計ってみようかと思います。もう半世紀以上前の作品ですし、祖母も孫を恨むこともないと思います。

ちぎれ雲

亡母をよく泣かせし記憶風化して陽の庭は秘む実を持つ草に
深き濃き彩もつ黒きばらに来る蜂を見すえて秋の陽の庭
母われを見送る娘の瞳のうるみいしちぎれ雲の空車窓にみつつ
まさぐりて行くわが道に従きてくる娘があり心に詫びねばばらず
夕映えの空かがよいて並ぶ娘に何を希いてやまざるわれか
もろき裡をいまに気づきぬ過ぎゆきの易々とあり悔い深き真夜
わが秋の終わりに心葬むらむサルビア紅き彩失せし日は
わが心に触るものみな音もなく崩れゆく秋の夜の庭は闇
よどみたる池面に雲の影うけり掬いても掬いても去らぬが哀し
ちぎれ雲ちぎれ飛ぶとき終(つい)の日の別れを想う老父といて
遠々と茜のうちに雪山の煌めくみえてひとを信じき
冬の雲ちぎれゆく丘に銀に光る鉄塔ありて陽はかたむきぬ
夕つ日に限りもあらぬ父と娘の愛知るときの焼けしちぎれ雲
ちぎれ雲いくつ狭空に浮かびいてわが傷心の短歌は終らず

まとめ

 祖母の残した短歌を書き写す(タイピングする)と、祖母が若かりしころ見た風景や想いが、少しだけ感じられたような気がしました。言葉を紡いで残すって素晴らしいことですね。

 今は、何でもネットに簡単に残ってアーカイブされてしまう時代ですが、半世紀もたつとこれらの情報はどうなるのでしょうね。0or1のビット情報としては残っても、そのほとんどがロボット以外にアクセスされることは無くなるのではないかと思います(すでにその片鱗は現れていますね)。自分の文章も、半世紀後に誰かに振り返られるようなことがあるのでしょうか。それはそれで、素敵なことのような気もしますし、恐ろしい気もしますね。

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