公文式の光と闇 〜やっててよかったのか?公文式〜

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公文式について語ってみようと思います

 たまに話題になる「公文式の教育は良いのか?」問題。少し前も有名な方が発言して(公文式をディスって)話題になったようです。

 実は、私は子供の頃に公文式に通っていた公文っ子です。というわけで、生粋の公文っ子として、公文式に関して語ってみたいと思います。なお、なるべくフラットに書こうと思っていますが、あくまで個人的なN=1の体験談であることと、昔のことで記憶があいまいなところがあるのはご容赦ください。あくまで体験者の一つの考え方として参考にするなり、無視するなりしてもらえば良いかなと思います。

 最後のまとめでは、自分が娘に公文式を受けさせたいと思うかどうかも言及したいと思います。

自分と公文の関係

 まず最初に、公文を語るにあたって、自分と公文の関わりを書いておきたいと思います。具体的にポイント列挙すると以下です。

  • 公文には小学生の間、6年間程度通っていた(ちょっと自信ないです、もうちょっと短いかも)
  • 公文式に通っていた頃は神童と呼ばれていた
  • 公文式の採点のバイトの経験もあり

 証拠に、公文っ子なら誰でも持っている(?)であろう、羽生名人のトランプも所有しています。 

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 羽生名人が公文をやっていたことは公文式を学ぶ人にとっては常識ですからね。

 ちなみに、上記のトランプに「羽生名人は6年生でH教材(中2相当)を学習していた」と書いてあります。

 これはどういうことかというと、公文式は自分のペースで学習を進められるので、どんどん自分の学年より先の教材を先取りで学習できるのですよね。なので、ペースが速いといわゆる飛び級的な学習ができるのです。みんなで同じペースで学習することが多い日本では、珍しいタイプの学習法であり、個人的には公文の最大の特色ではないかと思います。

 ちなみに、神童と呼ばれた私は、小学高学年で、羽生名人を上回るL教材を学習していたと記憶しています。L教材は、以下の図によると高校生相当なので、4〜5学年先の学習をしていたことになります。

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公文式算数・数学教材の一覧 | 公文教育研究会より引用

 これは、割と公文でもペースが早い方で、全国での表彰みたいなのも受けたような記憶があります(それでも、全国だと200位以内とかそんなレベルだったはずです)。

公文式の光と闇

 それではいよいよ公文式の光と闇をそれぞれ紹介していきたいと思います。

公文式の光

 まずは光、良い点ですね。これはなんといっても自分のペースで学習を進められるということですね。私はさっさと勉強終わらせて帰りたいタイプだったので、ノルマが終わったら帰っていいという方式は自分好みでした。

 とにかく最短で終わらすことばかり考えていたら、グングン学年も進んでいったという感じです。ただ、当然先に進むほど難しくなって、すぐは終わらなくなるんですけどね。

 あとは、ひたすら反復練習というのも、個人的にはあっていたかなと思います。日本の武道でも「守破離」といい最初に型を身につけてから、それを破って離れていくことが重要といいますし、最初は型を身につけるまで反復するというのは、多くの凡人にとって非常に重要な学習方法なのではないかと思います。

 逆に1回やれば分かってしまうような天才型の人には、あんまり意味はない学習方法かもしれません。というか天才は良い教材さえあれば、自分で勝手に勉強できるので、公文に限らず、あらゆる塾的なものがいらないのかもしれませんね。

公文式の闇

 当然光があれば闇も生まれるということで、公文式の闇に関して書いてみたいと思います。

 反復練習しながら、マイペースで進めていくという方法は、合う人は合うのですが、多分合わない人は全然合わないと思います。また私のようにあまりに公文の方式に馴染むと、逆に学校の勉強と合わなくなってきます。ある意味、高校生が小学生の授業受けているようなものなのでそれは退屈です。あと、性格的にもマイペースになる人、学校の先生の話を聞かなくなる可能性が高くなる印象があります(これは、私と周囲の数人分のデータしかないので、あくまで印象レベルです)。

 また、受験に対してはあまり効果的でないと思います。まず、公文は数学以外の教材はそこまで強くないです。国語、英語の教材も一応ありますが、子ども心にもイマイチという感じでした。また、理科社会等の科目は教材自体ありません(今も無いようです)。

 また、自主学習がメインとなり、公文の教室には基本受験のプロフェッショナルはいません(少なくとも私が公文式をしていたときは)。もちろん先生はいて、プリントの採点や分からないところは教えてくれるのですが、多くは大学生のバイトだったりします。

 公文の教材、そこまで詳しく解答を解説していない場合も多いので、学習が進んで高校3年の問題とかを聞くと、下手すると先生も解き方が分からないみたいなことが結構あります。なので、あくまで受験前の小学生の基礎学力をつける目的がメインの活用法になるのではないかと思います。

まとめ

 公文式に関して、自分の体験から個人的によかったと思うところ、悪かったと思うところを書いてみました。少し闇の部分が多めになってしまいましたが、個人的には公文式の自分のペースでできる学習は、自分には合っていたので良かったんじゃないかなと思います。

 一方で、小学校の頃は良かった成績ですが、その後中学、高校と公文の貯金を喰い潰すような感じになってしまいました。また、公文式の反動からか、学校であんまり教師の授業をまともに聞かず、勝手に教科書読んで進める生徒になってしまって、これはひょっとしたらあんまり良くなかったのかもしれません。私自身は、小学生は神童と呼ばれていたものの、高校生の頃にはすっかりちょっとできる子くらいになってしまいました(今は凡人)。

 正直、公文式が自分の人生にとってトータルで良かったのか悪かったのかはよく分からないです。公文式をやっていたから、なんとか凡人になれただけで、やっていなかったらどん底の人間だったかもしれないですし、逆に公文式をやっていなかったら、大器晩成した可能性もないとは言えないです。ただ、公文式が自分の人生に大きな影響を与えたことだけは、強く実感しています。

 もし可能なら公文式を受けなかった自分の人生というものをシミュレートしてみたいですね。そういったことが簡単にできないのが教育の難しいところですが。

 あと、当たり前ですが、どんな学習方法も個人の向き不向きがありますし、結局最後に大切になってくるのは、自分で学習方法を見つける力なんですよね。そのことを忘れず、子どもに公文式をやらせるかどうかを判断するのが良いのかなと思います。

 というわけで、自分が娘に公文式をやらせるかというと…まあどっちでもいいかなというのが今のところの答えです(笑) 

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