スラムダンクで思い出したあきらめることの大切さ

slam dunk

映画『THE FIRST SLAM DUNK』を観ました

 一ヶ月くらい前に、映画スラムダンクを観ました。もう映画の感想については、今さら私が語る必要もないかと思います。素晴らしかったですね。宮城リョータを主人公に据えたストーリー、映像、試合シーン。すべて素晴らしかったと思います。感動的な感想文であれば、ChatGPTでも書けるくらいでしょう。

 なので、ここでは私の痛みを伴う、バスケに関する個人的な体験談で得た人生訓「あきらめられなくても試合終了ですよ」を書きたいと思います。

バスケ部を辞めたかったけど辞められなかった中学生時代

 私は世代的には割とスラムダンクの世代です。というか、映画を観るまですっかり忘れていたのですが、中学はバスケ部に入って、バスケットボールをやっていました。

 ただ、特に良い思い出はないのですよね(なのですっかり記憶から抹消されていた)。というのは、入って数ヶ月で「あれ、自分バスケというかスポーツが得意ではないのでは?」ということに気づいたのです。小学校の頃は、それなりに足も速かったのでスポーツできる方と思っていたのですが、なんというかセンスとか運動神経があんまりなかったのと、身体を動かすこと自体がたいして好きではなかったんですよね。

 ただ、当時はオタク的なものへの偏見も強い時代。パソコンが好きで、家でいじったりホームページ(死語)を作ったりもしていたのですが、おおっぴらにそれを言える時代でも無かったです。なので、オタク的な要素は隠して、バスケを続けていました。ただ、そんな姿勢でやっていても当然うまくいかず、レギュラーにも入れないし、練習は辛いしという暗雲たる状況でした。

あきらめることの大切さ

 何度も「辞めよう」と思ったのですが、当時の自分には「辞める」という決断をすることがどうしてもできませんでした。「辞める」=「逃げる」という意識が強くあったのかもしれません。安西先生の「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という名言を、自分の都合の良い言い訳にしていた部分もあったのかもしれません。

 結局私は3年間、特に好きでもないバスケを辞めることができないまま続けてしまいました。

 3年間、他のことをしていればもっと有意義なことができたんじゃないか…と何度も思いました。ただ、3年間の体験を通じて、私が一つだけ得た大きなものがあります。それが「あきらめることの大切さ」です。

 実際、高校、大学は、様々なことに対してスパッとあきらめる。そのときはいかなる犠牲もいとわず決断するようになったかと思います。3年間は長かったですが、長い人生を考えると、自分には必要な期間だったのかもしれません。

まとめ

 映画スラムダンクをみて思い出した、自分の個人的な体験談とそのとき得た人生訓に関して書いてみました。安西先生の名言に対して、逆張りしたいだけの記事と思う人もいるかもしれませんが、決してそうではなく、自分の痛みを伴う3年間から得た人生訓になります。

 「あきらめたらそこで試合終了ですよ」というのは、名言にもなるとても強い言葉です。それはときに感動を産みますが、悲劇も産みます。特に日本人は、武士道的な「忠臣は二君に事えず」の精神が強すぎるきらいがあるように思えます。私は、何度か「あきらめられなくて試合終了してしまった人」をみたことがあります。身体を壊してしまった人、心のバランスが狂ってしまった人。それはとてもつらく悲しいことです。真面目な人や優しい人ほどそうなるのですよね。

 もちろん安易に何でもあきらめれば良いというわけではないですが、自分なりに考えて熟考した上であれば、自分にとってより良い選択肢を選ぶ決断をすることは、あきらめではなくて、新しいチャレンジと捉えてもよいのではないかなと個人的には思います。

 私が得た人生訓「あきらめられなくても試合終了ですよ」が、少しでもあきらめられない呪縛にかかって苦しんでいる人の助けになれば幸いです。

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