ありがとうディープラーニングおじさん

最初に

 その後のディープラーニングおじさんの話です。シンデレラの続きみたいなものなので、読まないほうが夢を壊さないかもしれませんということだけ、ここで注意喚起いたします。

 この記事、ずっと下書きに入ったまま公開しようか迷っていたのですが、ディープラーニングおじさんのご家族にもご了承いただき、公開することにしました。そこまで拡散は希望していないのですが、特に制限するつもりはありません(できません)。

ディープラーニングおじさんとの出会い振り返り

 ディープラーニングおじさん(以下Dおじさん)とは、今だに私のブログでトップのPV数を誇る記事の主役です。

 上記記事ではあっさり書いていますので、もうちょっと解像度高く思い出しながら振り返ってみたいと思います。

 そもそもの出会いは、社内で異動した後、たまたま隣の課にDおじさんがいたことからはじまります。Dおじさんは、私より一回り以上上の年齢(50代後半)で次長格の気さくな方でした。

 私はその当時、AI(ディープラーニング)が仕事に使えるなんて全く思っていませんでした。今と違って、AIが話題にはなりつつあったものの、性能もそれほど高くないことに加えて、ブラックボックスであることにネガティブな印象が強く、自分がいたような大きい製造業の会社(いわゆるJTC)では、批判的にみる人が多かったこともあります(これは今でもあまり変わっていないかもしれません)。

 ただ、技術的には面白そうだったので、休日に家で独学して動かして遊んでいました。当時のAIは、まだ動かすのが凄い大変だったのですが、頑張って自分でカメラで画像認識して認識したものを喋って教えてくれるという簡単なデモを作ることができました。ちなみにフレームワークはChainerです。多分Chainerなかったら諦めていたと思うので、PFNさんにはほんと感謝しています。


 これに音声がついた感じのデモ

 今はこのレベルなら小学生でもできますが、当時はまぁまぁすごかったので、嬉しくなって会社で色んな人に見せて回ってました。ただ、特に誰からも反応はありませんでした。過去も似たようなことあったので

「まあ、技術の会社といってもこんなものだよな」

 と勝手に失望していました。今思えば、単に自分が未熟で、デモの見せ方、見せる人の選定、説明の仕方など色々悪かったこともあったのですが当時の自分には気づけませんでした。

 そんな中、一人だけ猛烈に興味を示してくれたのが、Dおじさんでした。

偉大な教師

 Dおじさんは、デモの後

「めちゃくちゃおもしろいじゃん!これ仕事にも使えるよ。やり方教えて!」

 と、とても積極的に聞いてくれました。ただ、Dおじさんは、私より一回り上の年齢です。ソフトウェアも、昔の組み込みのC(C++ではない)しか経験がなくて、Linuxも全く分からないとのこと。

 正直「さすがに無理だろ」と思いながらも、せっかく興味を持ってくれたので、半分義理で簡単に仕組みと参考になりそうな情報を説明しました。そんなことがあったこともすっかり忘れた一週間後。Dおじさんが、嬉しそうに私に近づいてきました。

「動いたよ!AI!」

「嘘でしょ!?」

 経験者ならまだしも、初心者が動かせるようなレベルのソフトではないはず(当時の自分は相当苦労しました)。疑いながらPCの画面を見ると、たしかにデモが動いています。驚いてどうやったのか聞いたら、なんと仕事後と土日のすべてをAIにささげてLinuxとPythonを勉強したとのこと。そんなことする人、過去に会ったことなかったので、度肝を抜かれました。

 その後も、DおじさんはAIを勉強し続けて、3ヶ月後くらいには、NVIDIAのGPUをガンガン使ってAIの学習回して、仕事でバリバリAIを使うようになったのは、以前書いたブログの通りです。このとき、完全にこの人には負けたと思いました。そして、Dおじさんをもの凄い尊敬しました。こんな人が自分の会社にいたとは…と。

 自分がAIに本気になったのは、このころからでした。Dおじさんほどではないですが、それなりにAIを学ぶようになりました(本読んだり、プログラムをしていて気づいたら朝になっていることもしばしば)。Dおじさんとは、その後も色々な話をしましたが、ほとんどがAIの話ばかりでした。まさにAI馬鹿でしたね。2人とも。

 偉大な教育者である、ウィリアム・アーサー・ワードの言葉にこんな言葉があります。

 凡庸な教師はただしゃべる。
 良い教師は説明する。
 優れた教師は自ら示す。
 偉大な教師は心に火をつける。

 技術的には、自分がDおじさんに教えることの方が多かったですが、Dおじさんは、自分を本気にさせた(心に火をつけた)という点で、自分にとっては誰よりも偉大な教師でした。

ディープラーニングおじさんとの別れ

 Dおじさんですが、残念ながら2021年に突然死で亡くなられました。

 最後にDおじさんとTwitterでやりとりしていたのが自分でした。最後のやりとりまでAIの話題でした。Dおじさんらしいですね。ロックのかかってないスマホをご家族が見て私とのやりとりに気づいたようでDMがありました。そのときは会社でDおじさんが亡くなったことを聞いた後、呆然としていたときだったので、通知みたときは死者からのDMかと思い、心臓が止まりそうになりました。

 その後、ご家族と連絡をとり合い、お墓まいりもさせていただきました。Dおじさんは、ご家族にも私のことを話してくださっていたらしいです。なんでも、生前、私のおかげで「人生の目標ができた」とまで言ってくださっていたらしく、とても感謝いただけました。特に自分は何もしてないんですけどね。

 Dおじさんは、AIでこんなこともしたい、あんなこともやりたいとよく自分に語ってくれました。人が死んだら、そういう想いはどこにいくんでしょうね。消えてしまうのでしょうか。そうだとしても、その一部でも、誰かが引き継いでいけると良いですよね。Dおじさんの想いの多くは、ご家族をはじめとする周りの方々に引き継がれていると思います。ただ、AIに関してはもし引き継げる人がいるとしたら自分しかいないという自負くらいはありました。なので、Dおじさんのお墓の前で、その想いを引き継ぐことを誓いました。自分には少し重いですが、そうやって増え続ける重荷を運ぶのが、人生の後半戦なのかなと思っています。

新たな旅立ち

 オープンな場では初めて公開しますが、今年に長く勤めた会社を辞めて、新たな場所で働いています。業務内容はAI関係です。AIをもっとやりたいなという気持ちから、フルベットすることにしました。ちなみにTwitter転職です。というわけで、これが私なりの退職エントリとなります。

 正直自分もそこまで若くないですし、今AI業界はかなりの荒波と言えるので無謀と思えるかもしれませんが、チャレンジしてみることにしました。人生一度きりですし、あのころのDおじさんよりは、まだ一回り若いので年齢は言い訳にならないですからね。

 実は、Dおじさん生前に、一度転職の相談をしたことがあります。そのときは

「からあげ君なら、どこだって大丈夫だよ。なんなら起業しなよ!」

 と想像の斜め上の言葉をいただきました。そのときは結局転職しませんでしたが。多分、Dおじさんなら今私の決断を聞いても、笑って見送ってくれるんじゃないかと思います。まあ、うまくいかなかったら全部Dおじさんのせいです(笑)。違いますね、全部私が決めたことです。

 転職したので、所属や名前を出してもまあ大丈夫といえば大丈夫なのですが、まだ色々不安がある(あと親に知られるのは恥ずかしい…)のと、ネットに情報出すのが怖い世代なのでとりあえずは今のままでいくつもりです。ただ、ステマみたいになるとよくないので、ふんわりとした所属はおいおい公開するかもしれません。そもそも、私の色々な情報を頑張って調べれば特定できるかもしれませんが、そんなに頑張らないで欲しいです。というわけで、いつか自分が重荷を下ろすその日まで、まだしばらく走り続けたいと思います。それでは!!

 転職先のSlackでの歓迎スタンプ。何故かレモンかけられる。

関連記事