儀式を自動化することの難しさ

儀式の自動化

 みなさんは「これは明らかに非効率だけど、なぜか変えられない」という業務に直面したことはありませんか?私はあります。

 私は以前、製造業の会社で、とあるチェック作業を効率化しようとして会社で詰められたことあがあります。内容そのまま書けないので抽象化すると、部品とそれに対応する属性のチェック作業です。CADソフトが自動入力してくれないので、わざわざ人が、数百ある部品と属性を人による暖かみのあるチェックを1つ1つ行っていたのです。しかも、変更するたびに毎回1時間以上かけて。クレイジーの極みです。しかも1つ間違いがあると、型変更になるので数百万が吹っ飛ぶという恐ろしい罰ゲーム付きです。

 私は「過去製品の部品と属性のリストのファイルがあるので、それを元に自動チェックすれば1分で終わるのでは?」と思い、マクロで自動化していました。便利なので、親切心で他の人にも共有していたのですが、ある日部内のMTGで突然それが問題視されました。

「そんなことをしてはいけない」という謎の抵抗

 いきなり「そんなことするんじゃない!」と言われたときはビックリしました。理由は

「過去の製品のリストが間違っていたらどうするんだ」
(それこそ大問題では?)

「そのマクロが間違っていたらどう責任をとるんだ」
(人の暖かみのあるチェックよりは信頼できると思います)

 など支離滅裂なもので、当時は全く納得できませんでした。

 今でも全然納得はできてないのですが、そのとき反発をうけた理由自体は少し分かってきた気がします。今思えばこのチェック作業は「業務」ではなくて「儀式」だったんだなと。

組織に潜む「儀式」という名の非効率

 組織には様々な「儀式」が存在します。一見すると非効率に見えるけれど、なぜか変えられない慣習や作業のことです。

例えば:

  • 誰も読まない週報や月報の作成
  • 形骸化した朝礼や終礼
  • 内容が決まっている定例会議
  • 手作業での二重三重のチェック作業
  • 紙での承認プロセス
  • 会社の運動会(絶対ダメ)

 これらは本来、何らかの目的があって始まったはずです。しかし、時間が経つにつれて本来の目的は忘れられ、「続けること」が目的化してしまっています。ビジネス以外に目を向けると、いわゆる「伝統」とか「お祭り」みたいなものですね。もともとの目的が失われ、形だけが残ったり、目的化が変質してしまっているものです。こういったものは、もともとの目的が失われてしまっているため、やめるのに理屈が通じなかったりします。

 じゃあ儀式をやめたいときはどうすればいいのか…私は明確な答えは持ち合わせていないです。経験上は、強烈なトップダウン、強い外圧、天変地異(コロナ等)、組織の崩壊、粘り強い長期間の活動、みたいなことがないと難しいなと感じています。

 ちなみに、私のエクセルマクロは、CADソフトが刷新されるまで、(非合法に)部署内でこっそり使われ続けました。

まとめ

 儀式を自動化することは難しいという話をしました。業務と儀式って、実際は必ずしもキレイに分かれるものじゃなくてグラデーションがあるものなのも、難しさの一つにあるかもしれません。例えば飲み会とかも、ある意味儀式的と言えますが、自動化すべきかというと反対する人もいるのではないでしょうか?儀式自体が別の価値を生んでいるケースもあったりするのもややこしいですね。そう考えると「正しく儀式の価値を見極める」ことから、自動化や効率化が始まるのかもしれません。

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