名人たる者かくあるべし

名人伝とは

 「名人伝」という本を知っているでしょうか?作者は中島敦さんです。まだピンとこない人も同じ中島さんの著作「山月記」と言えば分かる人が多いのではないでしょうか?学校で習った方も多いと思います。

 臆病な自尊心と尊大な羞恥心により李徴が虎となる話です。生粋のはてなブロガーの方は、ブロガー山月記の方が馴染みがあるかもしれません。

 山月記はともかく、今回は名人伝の話です。山月記があまりにも有名なため、どうしても知名度は劣りますが、こちらも間違いなく名作です。青空文庫でもKindleでも無料で読めます。

 なお、以下はネタバレ含みますので、まだ名人伝読んだことない人は一度読んでおくことをオススメします。短い話なので、10分もあれば読めます。そんな時間ないという人は、ダイジェスト版を載せていますので、このまま続きをお読みください。

名人伝の内容

 「名人伝」のおおまかな内容は以下となります。

 紀昌(きしょう)という男が、弓を極めたいと、飛衛(ひえい)という人に教えを請う所から物語が始まります。

 最初は、ドラゴンボールばりの修行から始まります。2年かけて瞬きをしない技を身に着けてまつげに蜘蛛の巣が張ったり、さらに3年かけてシラミの心臓を射る技を身に着けると、奥義の伝授が始まります、その後は、師匠と壮絶な死合を挑んだ後、更なる達人に教えを請いに行く…と王道の少年漫画のようにどんどん強さがインフレしていきます。

 そして、ここからがこの本の本当に面白いところです。弓を極めた紀昌は、なんと逆に弓に全く触れなくなり仙人のような生活を初めます。それでも「紀昌が古の達人と戦ったのをみた」とか「泥棒が紀昌の家に入ろうとしたら殺気で転落した」など噂がまきおこり、紀昌の名声は高まるばかりとなります。

 そんな名声と反比例するように、弓から離れていく紀昌はやがてそのまま年老いていき、最後には弓というものを忘れてしまったという話です。

その道を極めると道具にはとらわれなくなるのかも

 単純に考えると「そんな馬鹿な」と一笑に付すような話ですが、そうとは思えない説得力があるのが、この本を名作たらしめている理由です。実際に自分も、そういったことに、全く覚えがないわけではありません。

 例えば、私の趣味はカメラで、フォトウォークにもでかけたりしす。デジタル一眼レフや、巨大なフィルムカメラを使う人も多いのですが、ベテランになると、フォトウォークで写真を撮らなくなる人が増えてきます。スマホや小さいカメラだけになったと思ったら、最後はカメラを持つこともなく、ただ一緒に歩いているだけになります。達人になると、もはやカメラは必要なくなるのでしょう。

 他、例えばRaspberry Pi(ラズパイ)というマイコンの場合、初心者は、様々なアプリを動かしたり、少し慣れてくると自分でアプリを開発したり、電子工作をします。やがて中級者になると自分で基板を作ったりもするでしょう。ただ、私の周りの上級者は、ラズパイでビルドしかしなくなります。もっというと物理的なマイコンボードすら必要なくなり、クラウドの仮想環境でラズパイ用のソフトのビルドをするようになります。おそらく達人になると、脳内でビルドをできるようになると思います。

 エンジニアのレビューでも同じかもしれません。私は、昔ハードウェアエンジニアでした。回路を設計したら、怖い先輩に回路のレビューを受けるのですが、最初は回路の抵抗の定数や、図面の書き方などに対して、大量に指導を受けます。ただ、徐々にそういった指摘は減っていき、より抽象化された高度な指摘、いわゆる設計の思想・考え方、ポリシーという哲学的なレベルになっていきます。達人の域になった人は、もはやレビューに回路は使わず、設計の思想を話し合うだけとなっていました(私はそのレベルに行く前に職を変えてしまいました)。

 ソフトウェアは、私は全然初心者のレベルなので想像しかできませんが、おそらく達人レベルになると、コードは見ないのではないかな?と思ったりします。あ、でもリーナスとかはコード見てFuckって言いそうな気もしますね。

まとめ

 「名人伝」を読んで、物事を極めるとはどういうことかを考えてみました。みなさんの考える達人とはどのような姿でしょうか?

 「名人伝」名作なので、まだ読まれてない方は是非一読してみてください。

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