分人という考え方『私とは何か――「個人」から「分人」へ』書評

分人という考え方が自分にしっくりきた

 突然ですが、私はビジネスネームを使いたい人間です。というより本名を極力使いたくないです。最近、ローソンネームで働く人の話題を見かけて、以下のようなツイートもしました。

 また、つい最近GitHubで本名を使わないのは間違いというツイートも話題になっていました。言わんとすることのメリットは分かりますが、自分の意に沿わない人のことを「大きな間違い」と断ずるのはどうかなと感じます。というか大きなお世話ですね。

 私が本名を使いたくないのは、プライバシー的なリスクもそうなのですが、どちらかというと、自分のパーソナリティを場面に合わせて使い分けたいという気持ちが大きいです。それを最もしっくりくる形で説明しているのが「分人」という考え方です。

 「分人」という言葉を知ったのは、COTEN RADIOの深井さんがきっかけだったと思います。妙にそのワードが気になり、深井さんが勧めていた平野 啓一郎先生の『私とは何か――「個人」から「分人」へ』という本を買って読み、その概念を知りました。

 分人を一言で説明すると「1人の人間は、分けることのできない個人ではなくて、その中に複数の自分(これを分人と定義)が存在しうる。分人は主に周囲との人間との関係(相互作用)により生じる」というものです。

 これだけ聞くとピンとこないかもしれませんね。具体例を出すと「中学生の同級生と久しぶりに飲んでいるときの自分」と「会社で仕事をしている自分」というのは、全然キャラクタが違ったりしますが、それは別に演じているとかではなくて、本当に違う自分になっている(分人として生きている)と考えよう(考えるべきだ)ということです。

 「ネット上の人格」と「リアルでの人格」が違うというのは、典型的な例ですね(私もそうかもしれません)。

 よくネット上の人格を指して「本当はあんな人だったんだ」と言われることもありますが、平野先生は「ネットでの自分も、リアルでの自分も、両方とも本当の自分。違う人格が一人の人間の中に存在することを認めよう」ということを主張しています。また、「本当の自分」なんてものはきっと存在しないということも主張されています。

分人を認めよう

 この分人という考え方は、私は同意しかないです。ネット上での自分も本物であると同時に、リアルでの自分も本物なんですよね。名前(アカウント名)も分けているし、所属を公開しないのも、極力人格を分けたいのと同時に、一人の人間として整合性を取るのが難しいというのがその理由だったりします(もちろん、不要な怒られを避けたいという打算もあります)。

 可能であれば、名前だけでなく顔も肉体も分けたいくらいです。物理的な制約があるので、どうしても1つの肉体に収まることになりますが、VR技術とオンライン化の加速により、仮想的には分人は実現しやすくなっていると言えるかもしれませんね。

 このような「分人」の考え方自体は、私自身もずっと似たようなことを考えていましたし、似たような考えを聞いたことはあるので、全く新しい概念というわけではないと思っています。

 ただ、平野先生がうまいのは「分けられない」という意味の「個人(individual)」という言葉の語源に注目して、この言葉の否定の接頭辞の in を取ることで「分人」(dividual)と名付けられた新しい概念を生み出したことです。この言葉のセンスは、さすが作家ですね。「分人」という言葉は平野先生の発明(再発見)と言っても良いと思います。これにより多くの人が、書籍を読むと「分人」という定義をスッとインストールすることができるのではないかなと思います。

まとめ

 分人という考え方を紹介しました。『私とは何か――「個人」から「分人」へ』は面白いので、分人という考え方に興味を持った方には是非読んでみてください。

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